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『終わらない20世紀』レビュー(その10)

こんばんは、シタン先生です。

今日、大学院の願書を提出してきました。

もう後戻りまできません(滝汗)

英語はもちろんのこと、政治史の勉強もまだまだ足りていないですし…。

ちょうど来月には、院試があって…誕生日の日に合格発表。

最悪な誕生日を迎えないためにも、これまで以上に頑張らなきゃいけません。


今回も『終わらない20世紀』をレビューします。

レビューにかなり苦しんだ本書ですが、ついに最後である結章になりました!
※今回は、反論がある人はあるんだろうなぁ(苦笑)

では、気を抜かずにいってみましょう。
※今回は<総評>に、いくつか議論を提起してみようかと思います。よかったら、考えてみて下さい(^^)

石川捷治・平井一臣[編] 『終わらない20世紀-東アジア政治史1894~-』 法律文化社 2003年


第Ⅳ部 変容のなかの持続-1970年~-

結章 「終わらない20世紀」

<本章の目的>
 東アジアにおいて「20世紀」は終わったと言えるのか。終わっていないとするならば、何が20世紀的なものとして残存し、何がどのように変容しているのか。そして東アジアで実質的に20世紀を終わらせ21世紀を拓くためにはどうしたらいいのか。

<本章の要約>
【一 日本と東アジアの新しい出会い?-1989年以降の時期】
 90年代に入り、「脱冷戦」の雰囲気の中、日本では政府も市民も東アジアに顔を向けようとする姿勢に変わってきたが、1995年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を契機に逆転させられてくる。自由主義的キャンペーンを背景に、「新しい歴史教科書をつくる会」等下からのナショナリズムの動きが強まり、政治的にも日米同盟の実質的な改定や周辺事態法、通信傍受法(盗聴法)、国旗・国歌法など重要法案が国会を通過した。その流れは、小泉首相による靖国参拝、「テロ対策特別措置法」から「有事法制」「メディア規制法」、さらに集団的自衛権や「改憲」の問題にエスカレートしてきている。これらの現象は、グローバルな資本主義の展開の所産であり、重要な情報ではなく「面白い」情報が氾濫するジャーナリズムのメカニズムによって加速される。そして、戦後日本は5つのレベルのシステム(※1)によって枠付けされるが、昨今、それらのシステム全てが構造転換しようとしている。

※1“戦後日本における5つのレベルのシステム”
①世界規模における米ソ冷戦構造
②東アジアにおける冷戦(熱戦を含む)構造
③②の部分構造である日米安保体制
④日本の政治システム(長期にわたる自民党政権)
⑤社会的基盤としての企業社会と「会社主義」

 まず戦後の日本は、ドイツが行ったような戦争責任と戦前の選択への反省を行っていない。また、近代化の際、日本は「脱亜入欧」の道を選びアジアの支配者として君臨する道を選んだが、戦後もアジアの一員として復帰するのではなく「脱亜入米」という選択をした。しかし、①の崩壊、②の崩壊への兆しなどによって改めて戦争責任と戦後賠償の問題に直面させられた。そして、日米運命共同体論であるが、①の崩壊によってアメリカの一極支配が強まる中、②の部分的存続を理由にアメリカは日本に同盟国としての新たな役割を求めている。さらに、「9.11」以降、アメリカを中心とする「新しい帝国秩序」が形成されつつあるが、日本は「新しい帝国秩序」と共に生きる道を選択しつつある。


【二 東アジアにおける「近代化」「民主主義」「社会主義」「ナショナリズム」】
 日本の「近代化」はあくまでも物質的近代化であり、西欧の民主主義的な価値理念、すなわち基本的人権・自由権・平等権などは実質を伴わないままであった。戦前日本においては、権威主義的体制における「臣民」は形成されたものの、民主主義的な「国民」は形成されないまま、「デモクラシー」国家の概観を獲得した。しかし、30~40年代のヨーロッパ「近代の超克」の動きは、自立しかけていた「社会」を再び再統合させた。

 戦後「日本国憲法」に込めたアメリカの戦略は、①天皇制を温存して昭和天皇の戦争責任を問わない代わりに、②軍備と戦争を放棄させ、③本格的な軍事基地機能は沖縄にまとめる、という三点セットであり、これは現在も機能しているが、冷戦・日米安保などの影響からその三点セットの存在が危なくなる。従って、現在ではそのバランスをとるために、①愛国心やナショナリズム、②「冷戦」後にその存在根拠を失うはずの沖縄基地を対中国・朝鮮・アジアシフトに変更しつつ、基地の維持・強化、等での調整を目指してきた。

 次いで、「戦後革新」「戦後民主主義」の動きであるが、これは1960年代まで活発に行われていたものの、社会構造の変化などから、結局「市民自治」への方向性を十分に開花できず、「民主主義」の価値観と思想を強固に根付かせることに成功しないまま自壊過程に入った。

 20世紀は社会主義の世紀であると言えるが、それぞれの国において異なる展開を見せた、今後「社会主義」が何らかの新たな形態を示しうるかどうかは未知数である。

 日本と東アジアとの関係を外交面からみると、日本の外交は21世紀の新しい関係を築く際に障害となりうる弱点がある。
①日米安保
 二国間軍事同盟を国家の基本戦略とする今日の日本政府には、日米安保はあるが日本独自の外交の不在という弱点がある。それゆえ、東アジアにおけるASEANなどの新たな動きに対しても及び腰である。
②アジアの一員としての自覚とビジョンの欠如
 東アジアでは、日本帝国主義の暴力と戦争が生んだ民族的憎悪が冷戦後の今日まで持続され続けている。その日本が21世紀の進路を考えるとき、アジアの一員であるという立場を忘れて未来の進路を拓くことはできない。まずその前提として、侵略戦争と植民地支配に対する真摯な反省の態度がなければならない。その上で、対アジア重視の立場を打ち出す必要がある。
③対外関係を見る際の「軍事中心」の発想
 北朝鮮や中国を考える際も、軍事的な脅威論が目立ち、如何に協力して平和を構築するかといった発想は乏しい。


【三 東アジアの歴史を作る主体者として】
 私たちは、客観的には大きな選択を迫られている。にも関わらず当事者意識が薄い。しかも、必ずしも「平和」ではなく危機の時代であるにも関わらず当事者意識が薄いのは、批判的洞察力ないしは批判的想像力の枯渇があるからではないか。

 私たちが歴史の当事者(主体者)として東アジアにおける新しい21世紀の世界を創るためには、歴史認識に関して①市民目線での国民的論議、②東アジア規模での歴史対話の枠組み作りの必要性、③民間、市民レベルでの共通認識を作り上げる努力、などが必要になるだろう。 


<総評>
・冷静で明快な分析がなされながらも、論者の強い危機意識・価値判断の下で書かれた章であるとの印象を受ける。
・※1“戦後日本における5つのレベルのシステム”が提起されていながら、実際はその中の①と②のみで分析を行っているのが残念であった。
・抽象的な表現が多く、それが読者の理解を困難にさせる点があると思われる。
例:第一章の全般、アメリカの戦略(三点セット)とその後の①、②の関連
・戦後責任に関する議論で、ドイツの事例を安易に持ち出すことは危険ではないだろうか。
・本論からは外れるものの、「東アジアにおける新しい21世紀の世界を創るため」という前提を取り払った場合に、歴史問題を如何に解すべきか。
・「新しい帝国秩序」は実際に存在しているのか、仮に存在しているとして日本は「新しい帝国秩序」と共に歩むべきなのだろうか。日米同盟の現代的意義とは何か。


今回で『終わらない20世紀』のレビューは終了です。

時間はかかったけど、何とかやり遂げました


小さな達成感
キタ─wwヘ√レv~(゚∀゚)─wwヘ√レv~─ !!


お疲れ様、私!!
お疲れ様、読んで下さっている皆さん!!


ところで、次回からレビュー(詳細)する本ですが、外交史の基本文献と言われている(らしい)、入江昭さんの『20世紀の戦争と平和』にする予定です。

次回のレビュー(詳細)をお楽しみに♪


今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪


応援クリックで元気になります!!



終わらない20世紀―東アジア政治史1894~
石川 捷治 平井 一臣
法律文化社 (2003/03)
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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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少し回り道をしながらも、何とか内定にこぎつけた修士二年生のブログ。ぼちぼち更新しますよ。

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