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『終わらない20世紀』レビュー(その8)

こんばんは、シタン先生です。


今日、集中講義が終わりました。
2日目、3日目と遅刻してしまいました(汗)
また、講義を受け終えて帰宅してからはバタンキュー…。

ペースが乱れに乱れてしまいました('A`;)

しっかり、ペースを戻さないといけませんね~。

ということで『終わらない20世紀』のレビューを再開します。
今回は第7章です。

※<シタン先生の問題意識>は、今回から、皆さんと議論が共有できそうな時だけ書くことにします。

では、いってみましょう。

石川捷治・平井一臣[編] 『終わらない20世紀-東アジア政治史1894~-』 法律文化社 2003年


第Ⅳ部 変容のなかの持続-1970年~-

第7章 「「グローバル化」する資本主義と日本」


<本章の目的>
 「70年代に始まり20世紀末にいたる日本の政治経済の錯綜した航跡を、対外関係の動きをも視野に入れつつ、経済社会の変動とそれがもたらした政党システムの変化を中心に概観する」

<本章の要約>
【一 世界資本主義の転機と佐藤政権】
 ベトナム戦争激化によって、沖縄における反基地運動と祖国復帰運動が結びつく事で、基地そのものの存続が危ぶまれると判断したアメリカは、沖縄施政のコスト軽減のためにも、1971年6月に沖縄を返還した。このように沖縄はアメリカの意図によるところが大きい。実際、沖縄はその後も基地の島としての問題を抱え続けて現在に至る。
 
 ベトナム戦争による戦力消耗、そしてその結果としてのソ連との軍事バランスが崩れることを恐れたアメリカは、そのころ表面化していた中ソ対立を利用し、中国に接近した。そしてそれは、ニクソン大統領の中国訪問という形で現れる。日本の頭越しに行われたこの出来事は、佐藤政権にとって大きな衝撃であり、自民党政権としての大きな失点になった。

 次なる衝撃は、1971年8月のニクソンの金ドル交換停止宣言(ドルショック)である。これは、ブレントン=ウッズ体制という国際通貨体制を崩壊させるものであり、それ以降資本主義の「グローバル化」が始まることになる。日本においてこの事件は、日本の高度経済成長に終止符を打つものであった。

 また、国内に置いても中小企業、国営企業を中心とした労働運動は依然として活発であり、革新自治体もますます台頭していた。しかし、佐藤政権はこのような状況に対応するだけの支持率を持ち合わせていなかったことから、72年7月に退陣した。


【二 田中角栄の登場と挫折】
 佐藤に次いで登場したのが、「今太閤」「庶民宰相」と呼ばれた田中角栄である。彼は、海外における新たな輸出市場の開拓、福祉国家的政策の展開と公共投資の拡大を通じた内需の拡大を企図した。

 新たな輸出市場として中国に目を付けた田中は、台湾国民政府との断行という犠牲を払いつつも、中華人民共和国との国交回復に踏み切った。

 国内的には、福祉主義を充実させよという革新勢力の要求にある程度配慮を示し福祉主義的政策を行ったが、「日本列島改造」をスローガンに、大規模土木事業を展開、「利益政治」システムを作り上げた点はそれ以上に有名である。 

 一方で上記のような政策は、巨額の国債発行を伴った(超積極財政)。そして、この超積極財政は激しいインフレをもたらした。さらに世界的には、73年末には石油ショックが起こり、日本をはじめとする世界経済はスタグフレーション状態に置かれる。 

 田中政権の経済運営が行き詰まるなかで、次第に田中政権の「金権体質」が注目されるようになってきた。これがきっかけとなり、74年末に田中は退陣。さらに、その2年後ロッキード事件で逮捕されることとなった。


【三 「保革伯仲」状況と「無党派層」の台頭】
 田中退陣、ロッキード事件をきっかけに自民党支持率は低迷を続ける。また自民党内では激しい派閥争いがあり、三木・福田・大平政権と短命内閣が続く。一方の野党側は、公明党・共産党などが登場し多党化傾向を強めながらも、選挙の度に自民党を追いつめ「保革伯仲」と呼ばれる状況を作り出した。
 
 野党の攻勢に対して、自民党は「不況対策」などを掲げ、支持基盤である農村部などに公共工事を配分する傾向(「利益政治」システム)を強める。これは、より一層の財政赤字と巨額の国債発行をもたらした。

 このように政治的には不安定であったが、経済的には70年後半には、他の先進資本主義国に先んじて不況を脱出し安定成長の軌道に乗ることに成功した。これは、人員削減・労働強化・下請け業者への締め付けといった「減量経営」、低コスト化によってできた商品を「集中豪雨的」に輸出した事が大きい。しかし、この財界の施策は中小企業まで及んだことから、それらを支持基盤とする革新・労働勢力の衰退をもたらした。こうして不況を克服した財界は、財政赤字や福祉国家的政策に対する批判を強める。これを受けて、自民党も70年代後半からは「日本型福祉社会」というスローガンを掲げ、福祉を抑制するようになる。これを実行できた
 
 この社会的基盤の変化は、野党陣営の変化をもたらした。社会党・共産党は野党陣営のなかでの孤立を深め、公明党は民社党とともに自らを「中道」と位置づけ、自民党に接近するようになる。この陣営の変化は、革新勢力の協力の上に成り立っていた、革新自治体の終わりを意味していた。

 しかし、自民党は福祉主義的政策を撤回できても、支持基盤の関係から「利益政治」システムから脱却することはできなかった。自民党のこの動きに関して、自民党は農村部の利益ばかりを代弁していると解した上層労働者・新中間層は自民党批判を強めた。ただし、彼らは野党支持には回らず「無党派層」を形成する。


【四 中曽根政権と「戦後政治の総決算」】
 前述の通り「集中豪雨的」に輸出を行った日本企業であるが、この頃から多国籍企業としての性格を顕著にする。そして財界は、日本政府に対して、日本企業の海外権益を守るためにも軍事面を含めた積極的な国際的活動を求めた。

 また財界は政府に対して「財政再建」を強く要求するようになる。そして、この要求は新自由主義(※詳しくは当ブログ「『現代政治学(新版)』レビュー(その3)」参照)という形で結実する。こうした期待を背負って登場したのが、鈴木善幸内閣であり、鈴木内閣では行政管理庁長官であった中曽根康弘内閣であった。とりわけ中曽根は行政管理庁長官時代に「行政改革」というスローガンを打ち出す。

 中曽根は海外権益を守るための軍事力の強化に取り組む。また日本列島「不沈空母」発言に見られるように、日米の軍事同盟を関係を強化する姿勢を見せた。また、三つの公共事業(電電公社、国鉄、専売公社)を民営化したが、これは労働運動を担う最後の部分である公共部門労働組合の壊滅をもたらした。しかし、その一方で赤字国債は増加の一途をたどる。

 中曽根の上記のような施策であるが、「軍事力の強化」は、当然ながら戦後政治における最も論争的な部分に踏み込むことにつながるものであった。また、彼自身の強引な政治手法も相俟って野党からは激しい反発があったが、もはや抵抗するだけの土台は存在していなかった。


【五 「バブル景気」と政党政治の変容】
 資本主義経済は、この頃になっても未だに不安定な状況であった。その原因は、基軸通貨であるドルが金という裏付けを失い、大量に流通する事による暴落の危険にあった。先進資本主義諸国はこのような状態を解決するべく、異常なドル高を是正することで合意した(プラザ合意)。結果、為替相場ではドルに対して大幅な円高が進行し、日本の輸出産業は一時大きなダメージを受けた。

 「財政再建」を唄って登場した中曽根内閣であるが、積極財政を行うわけにはいかなかったことから、日銀を解した超金利政策を行い、通貨を大量に流通させる(「金融の自由化」)ことで不況対策とする。こうして 1986年末から再び好景気局面に入っていったが、それは実体経済の拡大というよりも土地や株など金融資産の高騰という意味での「バブル景気」であった。

 こうして、自民党と政権担当者に有利な社会状況が生じたわけであるが、その状況を確実に継承させようとした中曽根は竹下登を後継者に指名して退陣する。しかし、その竹下・彼を推した中曽根は、リクルート事件と「金権体質」批判の再燃によって早々に失脚した。

 これに対して社会党は、総評の解散などその支持基盤を喪失しつつあったが、土井たか子人気によって「無党派層」の支持を受ける。このように、階級的・地域的利害などを担う社会集団の影響力が弱まりつつある一方で、「無党派層」の動向が決定的な影響力をもちはじめていることを意味するものであった。

 89年に昭和天皇が崩御されたが、これは日本の戦後責任の問題などが未だ処理されていないものを象徴するものであった。実際この頃から、「従軍慰安婦」に対する個人補償など、「戦後補償」の問題が大きな政治・社会問題として浮上してきた。これに対して、日本政府は保障問題は各国政府との講和・国交正常化交渉などのなかですでに解決済みであるとの姿勢をとっている。


【六 世紀末の混迷-むすびにかえて】
 1989年は「ベルリンの壁」崩壊をはじめとする東欧・ソ連共産圏の崩壊など国際政治にとって重要な画期であった。これによって資本主義は全世界をほぼ覆い尽くす経済圏を形成することになる。また、情報技術分野での技術革新などによって、国境を越えた資本の移動が容易になった。これらによって、経済の「グローバル化」が加速していったのであるが、とりわけアメリカはその恩恵にあずかる事となった。

 日本はアメリカと対照的に、深刻な不況に突入する。日銀の急激な金融引き締めのために資産価値が急落したのである(バブル崩壊)。このなかで日本は「グローバル化」に適応することが求められたことから、不況の脱出はより困難なものとなった。

 冷戦の終結後、アメリカは世界の「警察官」を自任し、時には国連を利用しながら各国の経済力・軍事力を動員し地域紛争に介入するようになる。このためアメリカは、日本にも積極的な軍事的貢献を要求するようになる。日米安保もこのような時代的背景のなかで改訂されていった。

 国内経済に於いては、ホワイトカラー労働者に対しても終身雇用制が撤回される。これは、企業の意向を甘受する限り現状の豊かな消費生活が保障されるという「幻想の契約」が破棄されたことを意味していたが、労働者がこの動きに抵抗するための組織はもはや残っていなかった。結果、労働者や新中間層は大きな不安に駆られ、彼らの政党支持・投票行動も、政党システム再編における混乱に拍車をかける。社会党は分裂・解体し、保守的野党である新進党・民主党の誕生など、保革対立という政治的対抗軸は90年代に入って完全に後退した。

 しかし、世界的にはグローバル化の負の側面が次第に重視されることになり、そのような資本主義経済の現状に異議申し立てを行う運動が世界的に広がり、新たな対抗軸を形成しつつある。


<総評>
 つまるところ、日本政治のどのような点が「錯綜」していたのかが理解できなかった。しかしながら、70年代の日本政治を総論的に理解するためには有益な章であると言える。

 本章を読んで、改めて中曽根内閣と小泉内閣は似ているとの印象を強くした。ただし、その支持基盤は大きく異なる。中曽根元首相は直接的には「派閥」であったが、小泉首相は直接的にも「国民的人気」によるところが大きくなっているように思われる。中曽根元首相は小泉首相のどのような点を批判しているのだろうか。

 「派閥政治をぶっこわす」旨発言している小泉首相。実際に以前よりも派閥の力が弱くなったことは疑いようのない事実である。しかし、小泉自民党の幹事長である武部氏は、某番組で「派閥」はなくならないと発言していた。では、「派閥」の現代的意義とは一体何なのだろうか。


今回のレビューはこれで終了です。…それほどスリムにはなってませんね(汗)

一息に読むと疲れるかも知れませんので、各々好きなペースで読んで頂くと、楽しく日本政治史が学べると思います。また、レビュー中で指摘しましたが、政治学の概念を説明している『現代政治学』レビューと合わせて読んで頂くと面白さが倍増します☆

私事ではありますが、明日は英語勉強会。英語の勉強もかなり遅れているので、今からしっかりと取り返さなきゃいけません!


今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪


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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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