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『終わらない20世紀』レビュー(その7)

おはようございます。シタン先生です。

前回の記事で、勉強が捗らなかった旨書きましたが、そのままだと寝付きが悪いので、もうちょっと勉強することにしました。

ということで、今回も『終わらない20世紀』のレビューをします。

なお、今回は第6章をレビューしますが、私の勉強範囲からは少し離れてしまうので、簡単なレビューに止めようと思います。

そうでなくても、「シタン先生のレビューは長くて読む気がしない」というおしかりの声をいただいているのですが(苦笑)

これまでの、レビューについても院試が終了した後、順次細かく&分かりやすく再編集するつもりなので、あと2ヶ月くらい待って下さいm(_ _)m

では、いってみましょう。

石川捷治・平井一臣[編] 『終わらない20世紀-東アジア政治史1894~-』 法律文化社 2003年


第Ⅲ部 熱戦・休戦・冷戦-1950~1970年-

第6章 「東アジア冷戦と中華人民共和国-中国社会主義の模索-」


<本章の狙い>
 「本章では、朝鮮戦争という熱戦を契機として、東アジア冷戦へと組み込まれながら新国家の体制を構築し、同時にそうした国際秩序からの脱却を試み、対外的、国内的な模索を繰り返していく中華人民共和国の1950年代から60年代にかけての歩みを概観する」

 
<本章の要約>
【一 中国革命と中華人民共和国】
 1949年の中華人民共和国成立は、中国革命の一つの帰結であった。国民党は、帝国主義に妥協しながらも国際的資本主義体制に組み込まれることで、中国を近代国民国家へと成長させようとした。一方の中国共産党は、土地改革を進めることで封建的中国農村社会の変革を実現しようとした。自作農を創出することで近代資本主義社会を作り、その上で社会主義化を目指したのである。

 このように革命の行き着く先が異なることから、共産党と国民党は対立を繰り返したが、日本の中国侵略に対しては「抗日民族統一戦線」を作り、協力して抵抗し、これを民衆も支持した。これは中国の人々が、帝国主義勢力からの民族の独立解放は、中国の統一と不可分であることを認識したためであった。また、共産党と国民党の間を知識人が取り持っていたことも大きい。そして、最終的に1945年の日本の敗北は、帝国主義勢力に対する中国革命の勝利と考えられた。

 しかし戦後、共産党と国民党の主導権争いが激化する。当初は国民党が優勢であったが、毛沢東の「新民主主義論」、アメリカが極東政策を転換したことに対する民衆の不満などを背景に、1949年には共産党が有利な情勢になっていた。これを受けて、国民党は台湾への撤退を画策、12月には中央政府機能が南京から台北に移転した。しかしながら、当初は共産党による中国統一が達成されるとの見方が大勢を占めていた。アメリカのトルーマン政権が、当初は「台湾海峡不介入」の姿勢を示していたからである。

中国革命:20世紀前半を通じた帝国主義列強による中国植民地化と、それと相待った封建的諸勢力の存続という二つの危機を克服し、民族の独立と解放を実現しようとする広範な政治的立場からの試み。20年代以降は、中国共産党と中国国民党という二つの政治勢力の動きに代表されるようになる。

「新民主主義論」:本来共産党は「プロレタリアート(労働者階級)独裁」を実現させようとするものであるが、毛沢東は、共産党の理念を中国の現実に適応させるべく、労働者階級に加え、農民、民族ブルジョアジーなどをも含む「プロレタリアートの指導する革命的諸階級の連合独裁」を訴えていた。

<シタン先生の問題意識>
・土地改革の内容がよく分からなかった。
・共産党と国民党の主導権争いが激化した理由が分かりにくい。途中までは、近代資本主義を目指すという点で一致しているので。


【二 朝鮮戦争と中華人民共和国】
 このような台湾「解放」の予測は、朝鮮戦争の勃発によって一変する。朝鮮戦争における北朝鮮軍の南下を共産主義の膨張と捉えたトルーマン政権は、当初の方針を転換し、台湾海峡の軍事的中立化、台湾に対する共産党軍による攻撃の阻止を命じるに至った。これ以後、アメリカは国民政府との関係を深めていく。

 中華人民共和国は、このアメリカの動きを帝国主義勢力のアジアに対する侵略行為と位置づけた。そして、朝鮮戦争における国連軍(アメリカ軍)の行動は中国本土に対する侵略戦略だと考えた中華人民共和国は、朝鮮戦争への参戦のちらつかせアメリカを牽制したが、国連軍(アメリカ軍)が中国の国境に近づいたため、参戦を決定、人民志願軍は国連軍との戦闘状態に入った。中国国内でもこの参戦に対して慎重な意見が多かったが、アジア情勢の激変に危機感を抱いた毛沢東の決定が大きな要因となった。中国国内ではこの戦争は「抗美援朝戦争」と位置づけられたが、その内実はあくまでも共和国の安全保障上の問題であった。ここに、国際主義と愛国主義の共鳴が見られる。

 装備の面でアメリカに劣る人民志願軍は、人海戦術でアメリカに挑むも、大きな被害を出した。そして、朝鮮半島の戦局が38度線で膠着した後、アメリカが北朝鮮に対して加えた「過飽和攻撃」は、中華人民共和国・北朝鮮の民衆に「米帝国主義の暴虐性」とのイメージを与えた。朝鮮戦争の進展に連れて、中華人民共和国内でも「抗美援朝運動」が展開されるようになる。 

 この時、共和国政府は「抗美援朝運動」と並行して反革命鎮圧運動も展開していたが、その位置づけは次第に重要視され、内容・範囲ともにエスカレートしていく。ここにきて、建国当初の理念であった「新民主主義」は一挙に曖昧なものとなった。

「抗美援朝戦争(運動)」:アメリカ(美国)に対抗し、北朝鮮を援ける戦争(運動)

<シタン先生の問題意識>何故、「新民主主義」は曖昧なものとなったのかが書かれていなかったように思う。


【三 東アジア冷戦としての中米対決】
 朝鮮戦争が終了した後も、アメリカ・日本と台湾は関係を深めていった。そして、対共和国「封じ込め」が完成、東アジア冷戦が形成されることになったが、これによって米中対決は決定的なものになった。対共和国「封じ込め」は、朝鮮戦争を契機に、そして米中対決を基軸に展開していったのである。中華人民共和国にとっては、中国革命の最終目的である中国統一が、アメリカとの対決なしには達成されないという問題が生じたことになる。

“「封じ込め」完成までの流れ”
1951年2月 アメリカ・国民政府間で「相互防衛協定」締結→以後、70年代半ばまで、軍事・経済援助
   9月 サンフランシスコ平和条約
1952年   「日華平和条約」
1953年2月 アイゼンハワー政権、「台湾海峡中立化」解除宣言
1953年7月 朝鮮戦争休戦協定締結→朝鮮半島の分断が決定的に
   8月 「米韓相互防衛条約」
1954年   「米華相互防衛条約」
      反共軍事同盟、東南アジア条約機構(SEATO)設立

“米中対決”
1954~55年 第一次台湾海峡危機
1958年   第二次台湾海峡危機(国民政府領、金門島・馬祖島への共和国による攻撃~アメリカ軍出動)

<シタン先生の問題意識>
 最後の部分に、分かりにくい表現があった。また、中国革命の目的に「中国統一」がある旨書かれているが、少々アプリオリな印象を受ける。これは、中国革命の説明が十分になされていない点に問題があると思われる。


【四 中華人民共和国の模索】
 朝鮮戦争への参戦はナショナリズムの高揚をもたらしたが、この中でチベットの併合が行われた。また、休戦前後から急激な社会主義体制への移行が志向され、1953年には第1次五カ年計画が発動、経済システムの国家による統制が進められた。
 
 ただし、この五カ年計画はソ連の踏襲に過ぎず、ポーランド、ハンガリーの民主化要求に危機感を抱いた毛沢東は、スターリン批判を行い独自の国家建設炉心を模索し始める。こうして58年には「大躍進」が宣言され、国家による国家建設から、大衆運動を基礎とする飛躍的な社会主義化が模索された。しかし、この試みは失敗に終わる(※1)。

 一方で、社会主義国家建設を保障するための国際環境の模索も行われ、1954年にはインドとの間で「平和五原則」翌年には、A・A会議においてアジア・アフリカ諸国の主権平等と協力促進をうたったバンドン十原則が採択された。

 しかし、これら一連の模索は共和国指導部内における路線対立をもたらした(※2)。また、この頃になると共和国を取り巻く国際情勢も悪化する。50年代からすでに悪化の兆しを見せていた中ソ関係は、60年代に入り紛争などの対立状態に入った。また、ヴェトナム戦争への協力を通じてアメリカとの対決、62年の中印国境紛争、さらに協力関係にあったインドネシアにおいても65年のクーデターで共産党が崩壊した。この、国際関係の緊張が、新たな国家理念の形骸化をもたらした。

 こうしたなか、1966年には「プロレタリア文化大革命」が起こる。資本主義の復活を図る修正主義を排除するべきとした毛沢東に呼応し、学生らが「紅衛兵」を名乗り既存の権威、社会秩序の否定、権力者のつるし上げや破壊に邁進した。しかし、毛沢東ら文革推進派権力者のみは絶対とされていたことから、結局当初の理念からはかけ離れた戯画的なものに終わる。むしろ、文革は「保守派」の組織化をもたらし、全国各地で大規模な武力衝突を行うこととなる。結局69年には文革推進派が権力を握り、保守派を圧殺するものの、その後76年に毛沢東が死去するまで中国における新たな国家像が模索されることはなかった。

※1「人民公社」が代表例。あまりに、非計画的な運動が実行された結果、国家のマクロ経済に対する統制の喪失、労働力への過剰負担、労働意欲の減退といった弊害が起こり、農業生産などが減少する。

※2毛沢東に代わり経済政策を指導した 小平らが、農業生産の回復のために行った、農業共同化の縮小、市場原理の導入といった政策が、毛沢東には資本主義の復活と捉えられた。毛沢東は彼らを修正主義だと批判する。

<シタン先生の問題意識>
・全体的に読みにくかった節。
・「共和国を取り巻く国際情勢」であるが、本節中の位置づけが分かりにくかった。
・ナショナリズムに関連する説明が分からなかった。
・また、休戦前後から急激な社会主義体制への移行が志向された理由が書かれていない。


<総評>
 狙いは一応果たされているように思われるが、文章の構造・表現などの点で読みにくかった。中国を理解する一助とはなる。個人的に感じたのは、中華人民共和国は理念として反帝国主義に貫かれているのかなぁと…。


はい、これで今回のレビューは終わりです。


ってか、全然短くないし…orz

毎回すみません、必要最低限を心掛けているのですがなかなか難しいです。

まだまだ、要約の能力が足りませんね(涙)



あ、そろそろガンダムやアニメの記事も書きたいなぁ~(遠い目)


今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪


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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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