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『終わらない20世紀』レビュー(その4)

おはようございます。シタン先生です。

記事の後、早速レビューの続きを書いておりました。

さすがに、「シタン先生の英語格闘記」が続くと、ブログとして味気ないものになるような気がして(苦笑)

今回は『終わらない20世紀』第3章をレビューします。

8月15日が近づく中、この章をレビュー…。

先生、何か因縁めいたものを感じました(マテ

では、いってみましょう。


石川捷治・平井一臣[編] 『終わらない20世紀-東アジア政治史1894~-』 法律文化社 2003年


第Ⅱ部 「近代の超克」その夢と現実-1930~1950年-

第3章 「世界秩序の再編と日本-1931~50年-」


<本章の紹介・狙い>
 「1945年8月15日をはさむ約20年間の日本政治を、アジアとの関係に力点を置きながら概観することにし、また、この時代が未曾有の戦争の時代であったことに留意し、戦争のなかの国家と人間の問題に触れてみたい」



<本章の要約>
【一 謀略・実験・政治危機】
 日本が植民地統治を行っている1930年10月、台湾では抗日運動が起こったが、日本はそれを徹底的に武力鎮圧した。その背景には、日本がアジアに対して抱いていた優越的意識がある。一方日本では、その後のクーデターなどのさきがけと言われる、浜口首相襲撃事件が起こった。当時の浜口内閣は、ロンドン軍縮会議での対米協調路線を追求しており、海軍強硬派、民間右翼や政友会らから攻撃されていた。浜口首相襲撃も一種の謀略とする見方があるが、その後の若槻内閣時代に起こった柳条湖事件も、関東軍によって起こされた陰謀であった。これによって優越的意識から連なる排外主義的な熱狂が起こり、日本は15年戦争に突入していく。

 次にアジアに目を向けてみると、柳条湖事件の半年後に「満州国」が建国宣言を行う。満州国ができたということは、日本にとって「前線基地としての人為的国家」の登場を意味していた。しかしながら、その他にもハルビンにおける石井部隊の人体実験、また当時日本に広がっていた「外先内後主義」という考え方からして、満州国には多分に「実験的要素」が見られる。

 これら、軍部の独走によって日本の政党政治は大きな打撃を受けた。その一例が5・15事件であるわけだが、5・15事件においては事件首謀者に対する減刑嘆願運動なども行われていたことから、この頃になると当時の世論は政党政治の立て直しを求めてはいなかったことが分かる。さらに、1935年に繰り広げられた天皇機関説事件をめぐる運動(国体明徴運動)によって、政党政治を支えた理論的支柱は失われる。このように、「2・26事件に帰着する1930年代前半の日本政治は、20年代までの政治システムを、しばしば国民運動や大規模な世論喚起をともないながら修正を加えていった過程であった」のである。たしかに、日本のそれはイタリアファシズム、ドイツナチズムほどドラスティックではなかったが、「政治危機の深化とそれに対する反応は、同時代のファシズム現象として理解することができる」だろう。

柳条湖事件:
ロンドン軍縮会議:
外先内後主義:
5・15事件:
2・26事件:


[シタン先生の問題意識]
 文脈の観点から指摘するならば、台湾の事例と浜口首相襲撃事件が同じ節で扱われていたのだが、その理由が分からなかった。ちなみに要約の最後の一文ですが、実はこの部分、私の関心分野でもあります。


【二 帝国の膨張とアジア】
 組閣当時から軍部の介入を受けていた広田内閣は、重要国策として満州移民政策を提唱。大量移民の時代に移行していく。

 そして、盧溝橋事件をきっかけに日中は戦争状態に入ると、日本は東亜新秩序声明を発表した。これは、アジア版モンロー主義だといえる。しかし、この考え方は、20年代に協調関係を築いてきた日米、日英関係を緊迫化させるものであり、政府内にもドイツ・イタリアとの提携を求める意見と、米英との協調維持を求める意見の間で対立があった。しかしながら、ナチスによるポーランド侵攻、当初のヨーロッパ戦線におけるドイツの優位性などによって、日本政府は対独伊提携論・アジアモンロー主義の主張に傾いた。

 従って、日米関係は緊張することになったのだが、1941年12月8日の真珠湾攻撃をきっかけについにアジア太平洋戦争が始まった。そして、この年10月には対米強硬論者である東条内閣が成立、さらに42年4月には総選挙が実施されたのだが、40年10月の大政翼賛会成立、それ以前の政党の自主解散など選挙を取り巻く状況は以前と異なっていた。開戦当初は優位に戦闘を進めていた日本軍であったが、42年6月のミッドウェー海戦を境に敗退を重ねる。日本はそれに伴い、朝鮮、中国、東南アジア諸国などから徴兵も行なった。

満州移民政策:
盧溝橋事件:
東亜新秩序声明:
モンロー主義:


[シタン先生の問題意識]
 大政翼賛会に関する仕組みなどが分かりにくい。全体的には分かりやすい章。


【三 敗戦前後】
 1945年4月1日から、アメリカ軍による沖縄本島上陸作戦が行なわれた。そしてその頃、本土では「終戦」をめぐる動きが始まっていた。すでに2月の段階で近衛上奏文も提出されていたが、「国体護持」にこだわる政府内部での意見はなかなかまとまらなかった。また、ポツダム宣言では草案時点で書かれていた、立憲君主制の護持に関する部分が削除されていたが、「国体護持」にこだわる日本は当然これを黙殺する。こうして、終戦のタイミングはますます遅れることとなった。しかしながら、8月6日広島に原爆投下、8月9日長崎に原爆投下、ソ連による対日宣戦布告・攻撃開始といった出来事が続いたため、ついに8月14日御前会議において昭和天皇からポツダム宣言受諾の意図が表明され、翌15日「玉音放送」が流された。この原爆投下であるが、始まりつつあった米ソ冷戦の時代をにらんだソ連に対する牽制であり、また新兵器開発における巨大な人体実験でもあったと言われている。
 
 8月15日という日を人々はいかに迎えたか、そしてその後の意識を考えると、日本の「銃後」には「アジアに対する視覚の欠如」という特徴がある。たとえば玉音放送においてもアジアの多くの犠牲者は視野の外に置かれていたし、「銃後」の意識を分析した研究においても、銃後の国民は「『欧米列強からのアジアの解放』という大義名分とのかかわりの中で、つまり日本とアジアとの関係の中において、この戦争の意味を問い、そして総括するという視点が展開した痕跡はほとんど認められなかった」とされている。また、もう一つの特徴として「加害者意識と被害者意識(戦後平和意識)の二重構造」がある。この特徴は日本の戦争終結のあり方のなかに埋め込まれていたのかもしれない。その他にも8月15日に関しては、集団自決する者、敗戦を知らずにいる者など日本人の中でもさまざまな迎え方があった他、植民地支配を受けていた者にとって8月15日は解放の日であった。

近衛上奏文:
「加害者意識と被害者意識(戦後平和意識)の二重構造」:


[シタン先生の問題意識]
 やはり、アジア太平洋戦争における終戦工作というのは、アジアではなくてアメリカが相手になるのでしょうか…。終戦工作の中で、重臣らは「最後の一撃」論を唱えていたようであるが、これについての記述が無かった。政府意見がまとまらなかったのは「国体護持」のみの問題ではない気がする。


【四 改革・封印・忘却】
 戦後、昭和天皇の戦争責任は問われなかった一方で、「国体護持」のために奔走していた政治エリートらはアメリカの占領政策に対して抵抗を続けていた。しかし、憲法制定などにおいても、日本を占領していたGHQの権力は絶大であり、基本的には彼らの指示のもとで日本の占領改革はなされていった。しかしながら、日本の戦後改革は単に「上から」のみならず、再び登場した政党や労働組合などによって「下から」支えられていた面も大きい。しかしながら、吉田内閣時のゼネストの際、最終的にはマッカーサーからゼネスト中止命令が出たことは、その後の占領政策の転換を暗示するものであった。

 占領政策の変化の影響は、日本の戦争責任問題にも影を投げかけた。たとえば、天皇は戦争責任を追及されることは無く、A級戦犯容疑者についても東条ら7人が処刑された翌日に岸信介ら19人が釈放されている。また、石井部隊についてもアメリカに対する実験データの提供の変わりに、責任追及は行なわれなかった。これら、責任を追及されなかった者で戦後の日本に影響力をもった人物は少なくない。

[シタン先生の問題意識]
 マッカーサーによるゼネスト中止命令がいかなる意味を持っていたのかが、必ずしも明示されていない。アメリカが旧エリートの責任追及を行なわなかった理由も気になるところ。「封印・忘却」の要素がどこにあるのか分からなかった。


【おわりに】
 自己の戦争体験を閉ざされたナショナリズムの観点からではなく、自己と国家との関係、そしてアジアと日本との関係の中で捉える作業は、相当な時間と労力を要した。何より、1950年前後の日本は「逆コース」の政治が進められつつあったこともあり、それが戦争とそのなかでの自己の経験に真摯に向き合うことをいっそう困難な状況たらしめたといえる。結果、「アジアのなかの日本」という問題は、しばらくは忘却のかなたにおかれることとなった。

「逆コース」: 

[シタン先生の問題意識]
 「アジアのなかの日本」という問題と「逆コース」の関連がよく分からなかった。



<総評>
 当初の狙いは一応果たされているように思う。ところどころに読者の事前知識を必要とするような記述が見られた。また引き合いに出す「個人」が理解の妨げになっているような印象を与える(∵一般化の危険性)。


…はい、やっとレビューが終わりました。実家のパソコンはやはり使いにくいですね(苦笑)なお、語句説明は今回行なっていません。なるべく正確を期したいのですが、手元に資料がないので。Uターンした後、空欄を埋めていこうと思います。


今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪


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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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少し回り道をしながらも、何とか内定にこぎつけた修士二年生のブログ。ぼちぼち更新しますよ。

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