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7/17,7/18のコメントに対するレス

こんばんは。シタン先生です。

7月17、18日と藤井氏の著作に関してレビューをしていましたが、その後の秋さんのコメントに対して長い間レスを付けられずにいました。自分の読み方に少なからず疑問を感じたのです。しばらくは冷静にとられることができないと思い、しばらくクールダウンする時間を設けていました。とはいえ、レスが遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした

ということで、レスを書き始めた訳なのですが…、
「あらら、分量が多すぎる…」
ということで、今回の記事にしちゃいました。コメント欄に書いてしまったら大変なことになるでしょうから(苦笑)
皆さんも、私のレビューに「?」という人も多いと思うので、今日の記事にした次第です。

お時間がある方は、私の該当以前の記事を見ながら、今回の記事を読んで頂けると、より分かりやすいかも知れません。

それでは、いってみましょう。

藤井厳喜『這い上がれない未来~Never-Climbing Society 9割が下流化する「新・階級社会」~』光文社ペーパーバックス 2005年
藤井厳喜『「国家破産」以後の世界~After Japan's Default~』光文社ペーパーバックス 2004年


>『国家破産~』のレビューと読ませていただいたんですが、まずは「なぜ破産が不可避なまでの状況になったのか」という点が見えてこないです。

 この場で説明させて頂くと、きっかけとしては1965年の「昭和40年不況」で歳入不足に陥りそうになった政府が、建設国債名目で赤字国債の発行を決めたことに始まります。本来は一時的な特別立法だったのですが、政府はその後も恒常的に国債を発行し続けました。ただ、国債つまり債券である以上は、償還期限が存在し、その時には返済しなければなりません。しかし、政府は償還期限が近づくと借換債というルールを作り、国債の大部分(6分の5)の返済を先送りにしました。また、国債自体の償還期限も60年という長い期間をとったのです。つまるところ、国債の多くは発行当時から未だに返済されていないのです。それゆえ、現在の国債発行額が膨大になっているのは、ご存じの通りだと思います。
 しかし、いくら国債発行額が増加しても、返済するだけの一般歳入があれば何の問題もありません。ですが、現在の日本はそれすらも難しい状況になっています。それは、例えば少子高齢化等を考えてみると、生産人口は少なくなり税収は減収しますが、一方で高齢化が進展し社会福祉にかかる費用を削ることは容易にはできません。この状況が続くならば、もうまもなく、雪だるま式にふくらむ国債の利子分(国債本体ではない)が一般歳入額を超えてしまうのです。こうなると、国債を返済する見込みはほぼゼロになります。
※本書はあくまでも、現在の日本の状況を前提としている。
 ただし、日本の国債には他の国の国債には見られない特徴があります。それは、国債の引受先の多くがあくまでも自国民である点です。これが、何を意味するのかというと、債権者である我々が国債の返済を要求しない限りは、国は返済の必要性がありません(もちろん、それはあってはならないことですが、借換債という形で先延ばしできる)。しかし、国民が日本経済に行き詰まりを感じた時(海外の機関投資家が日本国債を一気に引き上げることを知った)時は、我先に国債の償還を政府に求めるでしょう。例えるならば、風評から銀行の破綻をイメージした預金者が、銀行のATMに預金の引き上げを求めて殺到するといったところでしょうか。ですが、今の日本政府に国債を返済するだけの歳入はありません。従って、その時政府は自らの財政破綻を宣言するしかなくなるのです。国債は株などの心理ゲーム的要素と多分に似ていると言えるかも知れません。危なくなったら利益確定売りに走るのです。
 そして、重要な点として、国債は長期金利のレートに反映されます。つまり、景気回復によって長期金利のレートが上がった場合、当然に国債の発行額が跳ね上がるのです。1%に満たない金利上昇でも、それが国債発行額にもたらす影響は甚大です。
 もちろん、その「利益確定売り」は明日起こるかも知れませんし、しばらくは起こらないかも知れません。ただし、起こらない場合を考えても、現在の政府は国債を発行し続けています(多少発行額を減らしているかも知れませんが)。国債発行額は増えるばかりです。国債発行額が増え続ける国に追い貸しすることもなくなってきます。また、昨今ではこの事実を知る人も少しずつではありますが、増えてきました。そのように考えると、国家破産という事態はやはり免れがたいということになります。
 
これは、国家破産に至る一連の説明を怠った、要約側の私のミスです。大変申し訳ありませんでした。しかし、改めてよく見ると、『国家破産~』もなかなか分かりにくい文章ですね(苦笑)
 

>また、ちょっと議論が錯綜してるなという印象を受けました。
>著者は「階層の固定化」、「階層移動の可能性」がない社会状況を否定しつつ、結論的にはその「新・階級社会」でいかに勝ち残るかを問題にしていますよね。


 ここからは、『這い上がれない未来』についてですよね。本書を改めて読んでみると、やはり所々に脈絡のない記述が出てきますねぇ…。
 ちなみに、筆者は「新・階級社会」は「明るい『新・階級社会』」「暗い『新・階級社会』」に分類した上で、日本の現状(そしてその現状が続いた場合の将来)は「暗い『新・階級社会』」と規定しています。秋さんが指摘されたとおり「階層が固定化したまま、這い上がれない」社会状況です。見方によっては、学歴社会という現在の日本の社会状況も一種の固定化された階層社会です。そのような日本のままで、国家破産を迎えグローバル化が更に拡大した時、我々の多くは下流に転落したまま這い上がることができないのです。筆者は「格差は今まで以上に広がるが、努力と能力次第では階層移動もできる社会」が到来する。そしてそれがむしろ好ましいという前提から、今後の世の中を勝ち残る術を述べています(少なくとも私はそう理解しました)。もちろん、筆者の前提自体に議論はあるでしょう(例えば、日本はそのような社会になれるか、など)。

これも、私の説明不足でした。申し訳ないです。


>世界的に「下級転落」が起こり、大多数がいわば「負け組」に固定化される事態が進んでいるのであれば、いくら留学したり資格を取ったりして著者のいう「学歴」を身につけたところで、社会的には競争が煽られ階層の固定化を推し進めることになるんじゃないでしょうか。

>ここでは社会の問題が個人の問題に転嫁されていること、自分で否定した社会状況が結論的には前提されていることが指摘できると思います。



 まず確認しなければならないのは、筆者の前提として競争自体はむしろ推進している立場だということです。もちろん、それは競争の敗者や貧しいが能力のある者に対する奨学金など一定の救済を前提としています。そして、「学歴」についてですが、「奨学金などの救済が充実している」アメリカにおいては、「学歴」は一定の努力と能力を裏打ちするものであると考えています。その上で、グローバル化が進む国際社会において、ブランドとして通用するのが「学歴」であるとするのです。つまるところ、グローバル化した企業においては労働力候補が沢山いるわけですから、とりあえず「学歴※」で判断せざるを得ないということだと考えます。もちろん、その先も実務という面で熾烈な競争が待っていることも筆者は指摘しています。要は、アメリカ式の「機会の均等」と「実力主義」を評価していると言うことでしょう
※より筆者の考え方を汲むならば、○○大□□学卒△士というような「資格」

この点に関しても、筆者は「学歴社会」「階級社会」といった概念を日本とアメリカを例にとりつつ区別していたのですが、それが必ずしも要約には反映されていなかったことが、今回の誤解を招いたのだと思います。重ねて申し訳ないです。最後に一つ、「ここでは社会の問題が個人の問題に転嫁されている」という点に関しては、説明して頂きたく思います。お時間がある時で構いません。


改めて、自分のレビューと本書を読んでみると、いろいろな不備が見つかりました。
恥ずかしいですね。穴があったら入りたいです(苦笑)
秋さん程のレベルの方が、2~3回読んでも理解できない場合は、要約者である私か筆者の論理そのものに問題があるのでしょう(注.私の師匠の受け売り 笑)今回の指摘は、自分の理解を見直す上でも大変参考になりました。本当にありがとございましたm(_ _)m


今日も読んで下さってありがとうございました☆それでは♪


応援クリックよろしくお願いします!!



這い上がれない未来  Never-Climbing Society
藤井 厳喜
光文社 (2005/12/14)


「国家破産」以後の世界
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テーマ : 格差社会
ジャンル : 政治・経済

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非公開コメント

こんにちは~
これは・・・確かにコメントで返していただくのは厳しい分量ですね。お疲れ様です(^^;

>日本の現状(そしてその現状が続いた場合の将来)は「暗い『新・階級社会』」と規定しています。
>筆者は「格差は今まで以上に広がるが、努力と能力次第では階層移動もできる社会」が到来する。

ここなんですよね。
このままだと日本は「暗い『階級社会』」になってしまう。
でも到来するのは「努力と能力次第では階層移動もできる社会」(「これは「明るい『階級社会』」ということですよね?)。
分析で引き出した予見と、結論の前提が食い違っていると思うんです。
ここには論理の飛躍があるんじゃないかと思いますねぇ。

筆者がアメリカ型実力主義を想定しているということで、後半部分の論旨は理解できました。
しかし、「学歴」について言えば、日本の大学はアメリカとはかなり違う方向に向かっています。
この点、詳しくは言及しませんが、著者の主張が現実性をもつためには日本の教育政策への批判と展望が不可欠だと思います。
このまま行けば、日本での「学歴」は著者がいうような機能は果たせないでしょうね。日本の教育政策は、まさに「暗い『階級社会』」に対応する方向で進んでいますから。

国家破産に至るという分析と著者の基本的な態度や主張はこれである程度理解できたと思います。ありがとうございました。
「社会の問題が個人に~」という点は・・・ちょっと今は時間がなさそうなんで後ほど説明させてもらいますね。

上の続きです。

著者は国家破産を不可避としてその後の「明るい『階級社会』」や「暗い『階級社会』」といった社会のあり方を論じているわけですよね。
それなら、この前提は問わないとしても、著者の考えるあるべき社会をどう実現するのかが問われなければならないと思うんですよ。
しかし、結論されていることは個人の努力ということですよね。社会の実態と行く末を批判的に検討しながら、その枠の中で個人がいかに生き残るかしか問題にしていないように感じたんです。
それで、社会の問題が個人に転嫁されていると言ったんですが、これでわかるでしょうか?

秋さん、お疲れ様です。

自分の読み方に自信喪失気味ですが、全力で答えていきたいと思います!!

≫日本の現状(そしてその現状が続いた場合の将来)は「暗い『新・階級社会』」と規定しています。
≫筆者は「格差は今まで以上に広がるが、努力と能力次第では階層移動もできる社会」が到来する。

>ここなんですよね。
>このままだと日本は「暗い『階級社会』」になってしまう。
>でも到来するのは「努力と能力次第では階層移動もできる社会」(「これは「明るい『階級社会』」ということですよね?)。
>分析で引き出した予見と、結論の前提が食い違っていると思うんです。
>ここには論理の飛躍があるんじゃないかと思いますねぇ。


なるほど!おっしゃりたいことがやっと理解できました!!
よくよく考えてみると、要約としては筋が通りませんね。
この問題に関して、筆者はどのように書いておられるかというと…、
残念ながら、私は該当する記述を見つけることができませんでした。
「明るい『階級社会』をつくるべきだ」以上のことは言っていません。
従って秋さんの指摘は、十分的を得ていると思います。
私自身、今回の要約でも誤解を招くような書き方をしておりました。申し訳ありません…。



>筆者がアメリカ型実力主義を想定しているということで、後半部分の論旨は理解できました。
>しかし、「学歴」について言えば、日本の大学はアメリカとはかなり違う方向に向かっています。
>この点、詳しくは言及しませんが、著者の主張が現実性をもつためには日本の教育政策への批判と展望が不可欠だと思います。
>このまま行けば、日本での「学歴」は著者がいうような機能は果たせないでしょうね。日本の教育政策は、まさに「暗い『階級社会』」に対応する方向で進んでいますから。


 私見ではありますが、筆者の立場に立った場合、日本式の「学歴社会」や大学が国際競争に晒されるのは、日本の財政破綻後の話だと思われます。財政破綻後、日本人が国際競争の中で取り残されることがあるならば、次第に教育制度も別な方向に変わるのかも知れませんね。筆者は、教育政策に対しては、ゆとり教育を批判し、エリート養成を推奨し、奨学金の拡充を訴えています。それらの施策がなされない日本の教育政策を批判し、アメリカ型実力社会における教育制度を念頭に、日本が今後なすべき教育制度を訴えているのだと思います。
 ちなみにこの問題は、先日の秋さんのレビューと何か関係があるようなきがするのですが、どうでしょうか?



>著者は国家破産を不可避としてその後の「明るい『階級社会』」や「暗い『階級社会』」といった社会のあり方を論じているわけですよね。
>それなら、この前提は問わないとしても、著者の考えるあるべき社会をどう実現するのかが問われなければならないと思うんですよ。
>しかし、結論されていることは個人の努力ということですよね。社会の実態と行く末を批判的に検討しながら、その枠の中で個人がいかに生き残るかしか問題にしていないように感じたんです。
>それで、社会の問題が個人に転嫁されていると言ったんですが、これでわかるでしょうか?


 この点に関しても、理解できました。この点に関して筆者のスタンスを引用しながら説明しようと思います。

「…『国家破産』は『破滅』ruinではない。また、競馬や株のような『予想』predictionでもない。筆者が読者の皆さんに提示するのは、予見できるうちのもっともありうる『未来』the most likely futureである。そして、それはもう目前に迫っている just around the cornerという事実だ。
 そのとき、あなたはどうすべきなのか?
 どうか筆者とともに、真剣に考えていただきたい」
(藤井厳喜『国家破産以後の世界』光文社 2004年 24頁)

「今後は、いま以上に格差がひらいた社会になる。
国家破産が起ころうと起こるまいとそれは必ずやってくる。
はたして、あなたはこの流れに飲み込まれてしまうのか?
それとも、それを回避できるのか?」
(藤井厳喜『這い上がれない社会』光文社 2005年 表紙)

つまり、この本のスタンスとして「本書の対象は、あくまでも個人にある」と考えられます。
ですが、この点に関して、私が予め説明していなかった(あるいは、「私が要約の際、本書の意図を誤って紹介してしまった」)点に根本的な問題があります。いずれにせよ私に問題があることは明らかです。重ね重ね、申し訳ありませんでした。

ただし、何の縛りもなく議論を行った場合、秋さんの「社会の問題を個人に転嫁されている」という点ですが、その指摘は確かにそうだとも思えます。ただ、あえて反論とするならば、「民主主義という制度上、そのような社会状況を作り出したのもつまるところ個人」。といえるのではないでしょうか?『這い上がれない未来』には、責任という観点からも少しではありますが、言及されています。的はずれかもしれませんが、とりあえずいってみました(苦笑)

まだまだ、修行が足りませんね。本を紹介する人間が誤読ってのはあってはいけませんからね…もっと精進しないと!!

ではでは、コメントありがとうございましたノシ

どうも~
最近なんだか頭が働かなくて、ちょっとレスが遅くなってます・・・orz

>ゆとり教育を批判し、エリート養成を推奨し、奨学金の拡充を訴えています。

この点にはかなり思うところがありますね。
ですが、僕は教育問題には特別の問題関心をもっていて、ここでは書ききれそうにありません(^^;
近いうちに自分のブログでしっかりまとめてみようと思いますので、またご意見よろしくお願いしますねw

>先日の秋さんのレビューと何か関係があるようなきがするのですが、どうでしょうか?
これは『教養主義の没落』のレビューですよね?もちろん、直接的ではありませんが関係はあります。この点も含めて、うちのブログでまとめてみます。

>はたして、あなたはこの流れに飲み込まれてしまうのか?
>それとも、それを回避できるのか?

社会が「暗い『階級社会』」に向かうのならば、個人がそれを「回避」する術はありえません。社会の規定性から自由でいられる個人などいませんから。というか、そんな個人がありうるなら社会は成立しませんし。
「回避」ということをいっていますが、著者の主張は社会の規定性の中で、それに適応する努力をすべきだというものだと思います。

民主主義の制度上、この状況を作り出したのも個人という指摘はその通りだと思います。
それなら現状を受け入れるのも変えていくのもまた個人ですよね。
否定的に捉えた社会の現状に対して、現状肯定型の努力を求めるのか、それとも変革の視点をもった努力を求めるのか。
これは研究の態度としても大事な問題じゃないかなぁと思いました。

秋さん、お疲れ様です♪


≫ゆとり教育を批判し、エリート養成を推奨し、奨学金の拡充を訴えています。

>この点にはかなり思うところがありますね。
>ですが、僕は教育問題には特別の問題関心をもっていて、ここでは書ききれそうにありません(^^;
>近いうちに自分のブログでしっかりまとめてみようと思いますので、またご意見よろしくお願いしますねw

私も、コメントのスピードは速くはないので(マテ
そうですね。私も一大学生として関心があるので楽しみにしています。



≫はたして、あなたはこの流れに飲み込まれてしまうのか?
≫それとも、それを回避できるのか?

>社会が「暗い『階級社会』」に向かうのならば、個人がそれを「回避」する術はありえません。社会の規定性から自由でいられる個人な>どいませんから。というか、そんな個人がありうるなら社会は成立しませんし。
>「回避」ということをいっていますが、著者の主張は社会の規定性の中で、それに適応する努力をすべきだというものだと思います。

確かに、秋さんの指摘を考慮すると、「回避」という表現はいささか過ぎたものがあるかも知れませんね。



>民主主義の制度上、この状況を作り出したのも個人という指摘はその通りだと思います。
>それなら現状を受け入れるのも変えていくのもまた個人ですよね。
>否定的に捉えた社会の現状に対して、現状肯定型の努力を求めるのか、それとも変革の視点をもった努力を求めるのか。
>これは研究の態度としても大事な問題じゃないかなぁと思いました。

確かに、努力と一言で言っても、色々な意味合いがありますね。本書の書かれ方はやはり「現状肯定型」だと思います。一方で、「変革の視点」というのも非常に面白いものだと思います。興味深いご指摘ありがとうございます(*´ー`)


秋さんの記事・議論を楽しみにしています♪
ではでは、コメントありがとうございましたノシ
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少し回り道をしながらも、何とか内定にこぎつけた修士二年生のブログ。ぼちぼち更新しますよ。

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