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『現代政治学(新版)』レビュー①

こんばんは。シタン先生です。

しばらく、政治系の読書レビューをしていませんでしたね。仕事も立て込んでいたり、サッカーに興奮していたり(むしろこっち 笑)で、レビューがおろそかになっていました。

もう一つ、自分の納得のいくレビューが書けなかったという問題もあります。

そうです。私、元々かなりの神経質です。不十分なままの仕事を見ることが大嫌いです。ですが、このまま納得のいくレビューを書かないというのも、失礼ですよね。皆さんに、大々的に宣伝している手前。もちろん、しばらくレビューをせずに、納得のいくものが書けるまで待つという選択肢も考えましたが、よくよく考えると・・・、

「学生如きがなにを偉そうに!!」

という結論に至ったので、例えへたくそでもその日出来た分のレビューを上げることにしました

だって、学生だもん(マテ

日々、へたくそなレビューをアップする中で、いつか短時間の内に納得のいくようなレビューを出来るように頑張ります!!それが精進ってものです。

と、自分をとりあえず納得させたところで、再開レビュー第一弾です。

遠い昔に予告した『現代政治学(新版)』の序章と第1章です。自分の感想も以前より入れるようにしました。これまでは、人にあらを指摘されるのが怖くて避けてましたけど、これからはガンガン入れていきます。あとは、勉強した証として、最低限の語句説明にもチャレンジしようと思います。




加茂・大西・石田・伊藤著『現代政治学(新版)』有斐閣アルマ 1998年

序章「政治学のアイデンティティー」
<コメント>
 確かに政治学はマイナーです。マイナーですが何か?(笑)個人的に政治学を学ぶ意義についても考えてみたくなりました。価値と規範の問題を取り扱うか否か、と言う問題は結構大きな問題だなぁと実感。現在の政治学の主流は、価値規範の問題から離れて、経済学とも結びついたデータ学ともいえるものです。一方、価値規範(倫理)の問題をもふくむ問題も一昔前を中心に扱われてきました。ちょうど丸山世代。「戦争責任」等、少なからず責任を感じていた世代です。

 この問題について、私はコメントする気はありません。どちらも政治学だからです。どちらにも、メリットがありデメリットがあります。どちらが主流なのかという問題も、振り子のようなもので必ず一方に傾き、必ず揺り戻しが来ます。丸山など戦争を体験した世代がより価値規範を前面に出した論を展開し、その弟子の世代になるとよりデータという要素をも加味していこうとする。きっと、その後の世代の中では価値規範を復権させようとする人が出てくるのでしょう(もういますが)。しかし、その中でも少しずつ進化しているのではないかなと。特に根拠などはありませんが、そう考えないと政治学を学ぶ意味がないかなと。

 はい、一介の学生のくせに偉そうなことを言ってすみません。私は、今まで価値規範を押し出した政治学というものに親しんできたので、これからはデータを加味した政治学にもチャレンジしてみようと思います。文系特有の数字への弱さはありますが・・・(笑)


第1章「政治の世界」
<コメント>
 政治という言葉の中身、そして政治の世界における単純なモデルを示した章。ここを押えなおしたことで、これからの勉強が捗るかなと淡い期待を抱く(笑)それにしても、いざ勉強する身になると、昨今の国際情勢の変化がうざい(爆)

【語句説明】
政治:社会全体の利益(=共通善)や秩序を実現する活動・制度
※マスコミなどで批判や期待を表す言葉としてよく使われる。
※一方で、力(権力)や策略と言った、利益をめぐる争い、対立といった意味で「政治」という概念が使われることもある。このように、「政治」は両義的な性質を持つ。現代政治学では、より客観的に「社会に対する権威的価値配分」といった使われ方もされる。


アクター:政治主体
イシュー:紛争・争点、お互いの利益の不一致・対立
リソース:政治資源。つまり地位や説得力、社会的権威などの他人に与える影響力
制度:政治的紛争において、前提とされるべきルール。
<まとめ>
 この点で、あるアクターと別なアクターとの間にイシューが生じた場合、制度を守りつつも、リソースで自分に利益を上げるよう仕向け、他者を決定に服させる作用のことを「政治」と言える。


権力:政治的な社会関係の媒体であり、他の人間に対して価値を与えたり奪ったりする能力。


政治社会:血縁関係や「情」で結ばれていない者たちが、約束を交わしあい、ルールを作ることで一つの社会を作り上げる。そして、その社会が大きくなり、統治や支配の専門の機構・組織をもつようになったときの社会の名称。
→(広義の)国家

(狭義の)国家:統治・支配のための組織≒政府

市民:政治社会にメンバーとしての権利と義務を持って参加する人々
<まとめ>
 血縁関係や「情」で結ばれていない者たちが、社会の中で生活するためには、一定のルールが必要である(確か、「自然状態」云々って)。そのルールを担保するために、各々の自然人が本来有する権利の一部を出し合い、権力を有する一つの組織を作り上げる。それが、より専門的な組織を作り上げた状態が国家である。


主権:権力の対内的最高性・対外的独立性
 当初は宗教団体や自由国家など多様な団体が権力を持っていたが、国家がそれを統一し対外的にもその状態が認められるようになる。主権国家が成り立つと、統治・支配という政治の働きはこの国家に集中する。しかし、21世紀に入ってこの主権が揺らぎ、政治社会は再び多様化している(例:民間団体が行う公共活動、NPO、NGO)


国際政治と国内政治の相違点
①政治が展開してきた舞台が違う・・・国際政治は制度・文化などが異なっている。そのような国家が並立する中で展開する。
②伝統的にむき出しの武力が使われやすい

グローバリゼーション:大量のヒト・モノ・カネ・情報が国境を越えて移動するようになった結果、地球上の社会の均質化が進んでいる現象。
→「国際政治」から「世界政治」へ。国同士の相互依存関係が強まり、武力の政治的役割が低下(例:多国籍企業の存在)。9.11の発生


今回のレビューはこれまでです。これを見てくれた人で「これは違うんじゃないか?」と思う点があったら遠慮無くコメント欄で指摘して下さい。私の勉強にもなりますので。

では、これから心機一転頑張ります!!

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こんばんは

こんばんは。
こういう熱いレビューは大好きです^^
とりあえず思ったことは・・・
>文系特有の数字への弱さはありますが
論理的な思考は文系分野にこそ必要なのではないのでしょうか?数字そのものが弱いというのなら、これはちょっと的外れな意見になりますが。(内容ともあまり関係ないですね^^;)
>当初は宗教団体や自由国家など多様な団体が権力を
現在でも色んな意味で宗教が力をもっていると私は思うのですが・・・
>伝統的にむき出しの武力が使われやすい
最近ではむきだしの武力よりも戦略(武力による威嚇や情報操作のような)といった駆け引きの方が重要な気がするので、国内政治と国際政治の相違点とは違うように私は思ってしまうのですが?
政治学はあまりしっかりやっていないので間違った意見ならすみません。
勉強になりますのでポチっと応援しておきますね^^

おはようございます~。
気合の入ったレビューお疲れ様です(^^

思ったことや僕の考えをコメントしようかと思ったんですが、やっぱりどうにも長くなってしまう・・・orz

それで考えたんですが、シタン先生さんの記事にトラックバックして、引用させてもらいながら僕のブログで思ったことを記事にしてもいいですか?

感想をコメントするだけじゃくて、問題意識の交流や議論もできたら面白いなぁと、個人的には思っているんですが。どうでしょう?

シンさん。こんばんは☆

さっそく、答えていきたいと思います!!!

>論理的な思考は文系分野にこそ必要なのではないのでしょうか?数字そのものが弱いというのなら、これはちょっと的外れな意見になりますが。(内容ともあまり関係ないですね^^;)

 いささか、軽率に書いてしまいましたね。私が言いたかったのは、「後者」の事です。たまに、政治系の論文で数字をはじめとする具体的なデータとかが入っているものがありまして・・・単純な計算程度だったら理解できるのですが、ちょっとでも複雑な計算が出てくるともうさっぱりで・・・(汗)


>現在でも色んな意味で宗教が力をもっていると私は思うのですが・・・

 そうですね。宗教は今でも色々な意味で力を持っていることは明らかです。ただし、昔と近現代へ移り変わる世界を見渡した場合、政治媒体として人間の生活にコミットしているのは、やはり宗教よりも国家になってきたと思います(教皇の持つ権力を剥奪して、直接国家がそれを行使するようになった点など)。

 これは、本書の議論とはかなり離れますが、もしかしたら再び宗教が力を持ち始めているのが現代なのかも知れません。根拠もない、私の推測ですが。


>最近ではむきだしの武力よりも戦略(武力による威嚇や情報操作のような)といった駆け引きの方が重要な気がするので、国内政治と国際政治の相違点とは違うように私は思ってしまうのですが?

 ここも、私の説明不足でした。これは、現代までは、国同士の問題においてむきだしの武力(=戦争)が使われやすいという文脈だったかと思います。昔は、制度も違う、文化も違う国同士の関わりの中で問題が発生した場合は、最終的に武力が使われるというケースが多々ありました。制度、文化が一致した上で和解できることはまれでしたから。
 もちろん最近では、指摘される戦略の方が重要かもしれません。あと、武力による威嚇は、武力の使い方の一種とも言えるのではないでしょうか?。戦略と武力というのは、案外に線引きの難しいものだと思うのです。




あぁ、この説明で理解して頂けるだろうか?全く自信がない(´・ω・`)ショボーン もし、まだ分からない点があったら、遠慮無くコメント、メールを下さい。

では、コメントありがとうございましたノシ

秋さん、お疲れ様です☆

>それで考えたんですが、シタン先生さんの記事にトラックバックして、引用させてもらいながら僕のブログで思ったことを記事にしてもいいですか?

>感想をコメントするだけじゃくて、問題意識の交流や議論もできたら面白いなぁと、個人的には思っているんですが。どうでしょう?

 わざわざコメントして頂けるとは、非常にありがたい話です。こちらからお願いしたいくらいです(笑)!!これからは、私も、筆者の見解と、シタン先生の見解を「」で明確に分ける、などの工夫を凝らしていきます。議論ですか、最初は難しいかも知れませんが、頑張れば本当に議論の場が誕生するかも知れませんね♪とても、楽しみです!!

ではでは、コメントありがとうございましたノシ

方法について

シタン先生、お疲れ様です。
いかに学ぶかの苦労の跡が見えます。

私の意見ですが、政治を学ぶとき、シタン先生も鋭く指摘されているようにデータ(事実)で以て論証することが重要だと思います。

そこで、テキストに沿い自分の意見を論理的に展開されたらよいのではと思います。

ちなみに、敢えて私の議論を展開するならば、私は政治を「権威的価値配分」と定義して議論をします。理由は簡単で、私が分析の対象に置きたい出来事が共通善を目指しているというよりも、希少性の高いもの(金、社会設備等)を権威に則り配分した歴史的事象であるファシズムだからです。(ただ、ここでも議論の余地が残されファシズムとは共通善を目的としたものではなかったのか、といった反論も予想はされます。)

ですからやはり何が研究したいのかが最も重要な問いになるのだと思います。

はらださん、お疲れ様です♪

>シタン先生、お疲れ様です。
いかに学ぶかの苦労の跡が見えます。
体は結構参っています(汗)

>データ(事実)で以て論証することが重要だと思います。
そうですね。政治学をするに当たっては、データというのはやはり使わねばならないと思います。もちろん、データの客観性については注意しつつ。でも、私はデータというとすぐに説得されてしまうんですよね(困)

>そこで、テキストに沿い自分の意見を論理的に展開されたらよいのではと思います。
<シタン先生の~>と言う感じで、少しではありますが、自分の意見を入れるようにしました。

>理由は簡単で、私が分析の対象に置きたい出来事が共通善を目指しているというよりも、希少性の高いもの(金、社会設備等)を権威に則り配分した歴史的事象であるファシズムだからです。(ただ、ここでも議論の余地が残されファシズムとは共通善を目的としたものではなかったのか、といった反論も予想はされます。)
確かに。ファシズム諸国(といってもドイツ、イタリア)は国民の上位概念として民族共同体、あるいは国家という概念を持ってきています。その権威に基づいて、「希少性の高いもの」の配分先を限定しているように想います。

>(ただ、ここでも議論の余地が残されファシズムとは共通善を目的としたものではなかったのか、といった反論も予想はされます。)
それは見方の問題かと思います。ドイツを例に考えると、ファシズムが共通善を追求していると言っても、彼らは「ドイツ民族」以外をそもそも配分の対象(政治に参加するメンバー)と考えていない気もします。

的はずれなコメントだったら申し訳ないです(汗)

では、コメントありがとうございましたノシ

おはよです^^

やはり後者でしたか。私は社会学や心理学の方でしたが同じような感じですので気持ちはよくわかってたりします(^^;
>政治媒体として人間の生活にコミットしているのは、やはり宗教よりも国家になってきたと思います
確かにこの傾向はあるとも思うのですが、これに関しては国によりけりかと思います。私はイスラム教を研究していたのでそう感じるということもあるのですが。
>私の推測ですが
その傾向もあるように思う気もするのですが、特に9.11以降にマスコミで宗教的なことが取り上げられることが多くなった影響の度合いもあるのではと思っています。あくまで適当な推測ですが(苦笑)
>武力による威嚇は、武力の使い方の一種とも
とりあえず、上記のコメントでは、エントリ内の「伝統的にむきだしの武力」という点で、むきだしの武力と威嚇を分けて考えてみたのです。
>線引きが難しい
この言葉につきますよね。ゆえにどう定義されているかや、どう定義するかが重要なのだと思います。
>理解していただけるだろうか?
言わんとするところのものは理解したつもりであります・・・たぶん^^;

今から寝ます(笑)

>確かにこの傾向はあるとも思うのですが、これに関しては国によりけりかと思います。私はイスラム教を研究していたのでそう感じるということもあるのですが。
おそらく、イスラム教、9.11関連を言いたいのかなとは思っていました。
識者の中には、キリスト教原理主義とイスラム教原理主義なんて言い方をする方もいらっしゃるようです。宗教に関するマスコミの扱いもこれをきっかけに大きくなったと思います。

>とりあえず、上記のコメントでは、エントリ内の「伝統的にむきだしの武力」という点で、むきだしの武力と威嚇を分けて考えてみたのです。
そうでしたか。やはり、定義や線引きというのは難しいですね~。もっと、効果的に説明できるようになりたいです。

では、コメントありがとうございましたノシ
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