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『二十世紀の戦争と平和』レビュー(その8)

こんばんは、シタン先生です。


最近、私のお気に入りのお店が無くなっているところを目にします。

うどん屋、焼き肉屋…そして、今回はアクセサリーショップが無くなっていました。

そのアクセサリーショップは、質の良い製品を質の割には低価格で売るところであり、個人的には大好きだったのですが…。ただ、人の入りはあまり良くありませんでした…場所のせいでしょうか?

その一方で、そのお店の近くにあるアクセサリーショップ(低価格ではあるが製品の質が悪い)は大繁盛でした。

…何だか、寂しいですね^^;

「本物」って往々にして理解されないのかなぁと。
(私が理解されないのは、無論私自身の問題です 苦笑)


まぁ、そんなことは置いといて、早速レビューに入ります。

今回は入江昭氏『二十世紀の戦争と平和』第8章です。

では、いってみましょう。


入江昭『二十世紀の戦争と平和【増補版】』東京大学出版会、2000年。


第8章「民族解放という名の戦争」


<本章の要約>
 デタントの時代にはいると共に、新たな平和概念を模索する動きが広まる。しかし、それはあくまでもソ連とアメリカの間での問題関心であり、アメリカは一方でヴェトナム戦争に突入する。しかも、平和概念の模索も結局新たな成果を得ることはなかった。このように、確固たる戦争観を持っていなかったアメリカに対して、ソ連や第三世界は「帝国主義陣営と社会主義陣営」あるいは「帝国主義国家と民族解放運動」といった形でも戦争が考えられていたそして、ヴェトナム戦争の結果、「自由主義的発展論」に対する批判や懐疑が高まった。「東南アジア戦争の挫折」は「米国の戦争・平和概念に深刻な衝撃を与えた」のである。ただし、「社会主義陣営」も必ずしも一枚岩ではなく、この頃になると彼らの戦争・平和概念に隔たりが見られるようになる。例えば、中国はソ連のことを「社会帝国主義」(強大な社会主義は半ば帝国主義的であるという意)として批判し、自らは第三世界(発展途上国)の立場からの戦争・平和概念を展開する。

 このようにアメリカの思想的混迷は深まる中で、次第に新現実主義(国家エゴ:保護貿易・資源ナショナリズム)や悲観論(米ソ関係は力のバランスによってのみ保ち得るという意)の力が再び増してゆく。また、戦争と平和の論議に影響を与える要素としてテロリズムなるものが登場した。

※ただし、この頃の「テロリズム」はあくまでも「国家」が主体です。


<シタン先生の評価>
 本章では、ベトナム戦争と米ソ関係を主軸に、主にアメリカの立場からの平和論の変遷を述べている。デタントをきっかけに動き始めた「新たな平和運動の模索」も、ベトナム戦争での敗北を機に現実主義的・悲観的な動きに回帰していく様子が述べられる。本書が書かれた頃(※初版は1986年)は、ベトナム戦争から間もない時期であるが、それにも関わらずこのような分析がなされているのは本章の特筆すべき点である。「テロリズム」についての記述も、現在の使われ方とは異なっている面があり興味深い。


今回のレビューは以上です。

12月もはや10日が経過しましたね。早いです。

そろそろ大掃除もしなきゃ(汗)


今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪

  
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二十世紀の戦争と平和
入江 昭
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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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