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『二十世紀の戦争と平和』レビュー(その6)

こんばんは、シタン先生です。


毎度毎度申し訳ないです。

最近回復してはいるのですが、まだ本調子ではないもので(汗)

さすがにこれではまずいと思い、最近「サプリメント」なるものを服用しています。

効果は…?でも、何となく体が軽くなったような♪


今回も入江昭氏『二十世紀の戦争と平和』、今回は第6章をレビューします。

馬鹿の一つ…みたいで申し訳ないですが、興味のある方だけおつきあい下さいm(_ _)m

では、いってみましょう。


入江昭『二十世紀の戦争と平和【増補版】』東京大学出版会、2000年。


第6章「権力構造への回帰」

<本章の目的>
 第二次世界大戦がそれまでの戦争・平和概念をどう変えていったのか、そして戦後の世界にどのような論理を伝えたのかを論じる。


<本章の要約>
一、力の対決
 第二次世界大戦が始まったことにより、まず大きく言えば「力の容認」すなわち「戦争の肯定」があった。その思想的背景としては、まず「平和への批判」つまりファシズムをもたらした「平和の概念そのものが間違ってい「政治の力を中心にする見方」た」という議論である。次にがある。これは、「民主主義国家であろうと政治的な集団であることに変わりはな」く、「自らの存在」を守るためにも「政治の力に訴えるのは当然だ」とする見方である。三つ目には「民主主義の信条の高まり」があった。これは、ファッショ化していくドイツやイタリアに対して、民主主義的な要素を取り戻した英仏などが、民主主義に対しての自負を高めた結果、民主主義を存続のためにも戦争をすべきであるとする考え方である。当初、表面上の中立を保っていたアメリカでも、次第に戦争を肯定する見方が強まった。「民主主義の『道徳的一貫性』を守るためにもアメリカは対独日戦線をなすべきだと」するのである。これはウィルソン時代の概念にも似ているが、ここでは民主主義の原則そのものよりも、欧米諸国の防衛が重視され、社会主義諸国などとの強調も考えられており、第一次世界大戦時よりも「民主主義」概念は曖昧なものになっている。

二、第二次大戦の思想的基盤
 戦争を遂行する際は、自分の側の戦争・戦闘行為が相手方と違うのだと言うことを信じる必要が生じる。そして、その問題を考える際に、「戦争と手段と目標」は大きな関心事となる。つまり「『良い』戦争にはそれに相応する『良い』手段があるのか。それとも『良い』戦争をする上でも手段は敵と同じ、あるいはそれ以上に『効果的』なものを使うべきなのか。手段は不正でも目的が正しければ『良い』のか」といった問題である。例えば、アメリカでは、アメリカ人は平時は民主的であるからこそ、戦時は独日といった全体主義国家よりも勇敢に戦うのだといった差異化がなされた。一方、アメリカとは対照的な文化的背景をもつ日本では、「『アメリカ精神』こそ『量』の精神であり、…『闘争的性格』を持って」いるとした上で、自らは「滅私奉公の精神」を持っているため、アメリカ人よりも勇敢な戦闘をなしえるのだとする考え方が存在した。このように両者の考え方は一見すると両極端であるが、戦争で重要なのは「文化的伝統や国民性」であり、「相手方は好戦的で世界支配をもくろんで」おり、「自分たちは世界を救うための『義戦』をしているのだ」という主張などに共通点が見られる。ただし、英米では「民主主義を守るための戦い」とされたのに対して、日本では「『民主主義政治体制』から解放するため」の戦いとされていた。しかしながら、結局は各国との連帯を正当化するためのスローガンが必要となる点では、両者は共通しているのである。

三、戦後平和のヴィジョン
 第二次世界大戦中、戦後平和のヴィジョンとしてがすでに話し合われていたが、その中でも「経済的国際主義と国内改革の思想」、すなわちウィルソン主義が復権していた点は興味深い。このことから、「力を基にした現実主義的思考と、ヴィジョンを掲げた理想主義の流れとは、別のレベルの現象であり、前者は戦争、後者は平和の論理を代表していたのだ」とも言える。ただし、結局は戦争と平和の概念は曖昧としたものであり、戦争の意味や手段は、平和の構想と切り離すことはできない。連合国側でも枢軸国側も平和のヴィジョンが違うからこそ、自らの戦争は正当化しうるのである。とりわけ、日本側で言うならば、その好例が「大東亜宣言」であろう。その中では、経済国際主義が唱えられ、また国際協調主義など連合国側のヴィジョンにも相通じているものがある。また、このころ「富や資源や機会のより平等な分配」によってより好ましい平和が考えられるといった第二次世界大戦の一つの遺産が出始めていた。


<シタン先生の評価>
 本章のテーマに関して、連合国と枢軸国、アメリカと日本の対比を中心に分かりやすく描かれている。ただ、戦争の手段の問題に関する論証はいささか不十分で説明不足な印象を受けた。そして、戦争と平和は曖昧という旨の記述であるが、これをいってしまうとその後の考えを放棄するような気がしてならない。

 さて、アメリカによる原爆投下は、「原爆投下によって多くの兵士が救われた」との理由から正当化されることが多いのですが、これは、本章の議論の中ではどのように位置づけられるのでしょうね…。もちろん、現在の文脈に固執して見るのは危険なのですが。ただ、まだ頭が回転するような状況にはないので皆さん各自で考えてみても良いのでは(マテ


今回のレビューはこれで終了です。

まだまだ本調子とは言えないながらも、本を読み進めてはいるのですが、基本的に新書や社会評論が多いんですね。そろそろ、小説を読んでみたくなりました。小説などを読まないと人間として深みが出ないのではないかと…(汗)まぁ、暇な時に探してみます。個人的には、三島由紀夫・太宰治・芥川龍之介・森鴎外・夏目漱石あたりにチャレンジしてみようと思います☆


今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪

  
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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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