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『二十世紀の戦争と平和』レビュー(その5)

こんばんは、シタン先生です。


いきなりですが、明日から日曜日まで東京(正確には横浜)に行きます。

いとこの結婚式に出席するためです。

ということで、最近ろくに更新してないにも関わらず、またもや更新が滞るわけですね(滝汗)

まぁ、こればかりは仕方ないか…(マテ


今回は、入江昭氏の『二十世紀の戦争と平和』第5章をレビューします。

では、いってみましょう。

入江昭『二十世紀の戦争と平和【増補版】』東京大学出版会、2000年。


第5章「平和論の崩壊」

<本章の目的>
 1920年代に支配的であった「平和の思想」が、1930年代にはどのように変化したのか、権力と文化の関係についてどのような見方が主導的になっていったのかという問題を説明する。


<本章の要約>
一、1930年代の特徴
 1930年代の特徴は、1920年代的な国際思想や世界観が崩壊したことだと言える。国際社会は政治的・思想的に分割され、それに伴い従来の意味での平和の理想は存在価値を失い、かわって戦争の思想や新しい平和の概念が勢力を増す。そして、相互依存的国際経済や国際経済的平和論も打撃を受け、国家主義あるいは国益の概念の影響力が増加する。ただし、依然として20年代の平和概念も存在していた(20年代の平和概念は、本書レビューその4に書いてあります)。

二、戦争の必然性
 当時の時代状況として資本主義の行き詰まりがあり、その状況の打破のためにも戦争が不可避のものとして捉えられるようになる。ただし、この場合の戦争は英米間や英仏間ではなく、独伊や日本など旧来の国際秩序の打破を標榜していた国との間の戦争が想定されていた。ここに、単なる経済的対立にとどまらない政治思想的な動きが見られる。その中でファシズム国家では、一段と戦争が賛美され、思想心理的にファシズムが戦争肯定の風潮を作り上げるようになる。結果、ファシズム国家では国内が常に臨戦態勢におかれることになった。

三、戦争と文化
 この常時臨戦態勢は権力と文化の関係をどう変えていったのか。そしてファシズム国家では、戦争と文化が密接不可分なものとなっており、そのため究極的には好戦的だった。具体的には、戦争自体に価値(「積極的な善」)を見いだされ、戦場で散った者の記憶こそ歴史の中核であるとされたのである。同時期の日本も、戦争に対して文化的意義を与えていた。

四、平和思想の挫折
 一方の英米でも、望ましい平和についての深刻な議論がなされた。それは、単に日独伊に対する対策のみならず、より根源的に国際関係のあり方、国際秩序と国内体制の関係といった問題にまで発展していく。その中で、近代西洋の根本概念を踏みにじり、その維持を難しくさせる戦争に価値を見いだす独伊日を前に、如何に平和を維持するかという問題が生じる。そして、具体案として「野蛮に対しては力で対決する以外にない」との結論や、「会議」「交渉」といった消極的な平和などが提唱された(※1)。しかし、そんな中で国際経済主義や改革主義的平和論(くわしくは、本書レビューその2その3参照)が形を変えて登場する(※2)。しかしながら、結局は、力の論理が平和の維持を基本原則とする考えに優位した
※1 最終的には、欧米の言論人のほとんどが前者の考えを採るようになる。
※2 具体例の一つが「宥和政策」(appeasement)・人民戦線(Popular Front)である。


<シタン先生の評価>
 比較的分かりやすい章ではあったが、その理由をもう少し扱って欲しかった(論理外在的な指摘ではあるが…)。また、「権力と文化」という観点から論じられていたかが疑問である。そして、本章における「日本」の位置づけが不明瞭な印象を持った。

 結局は「ロマンティックな戦争観」(本書レビューその2参照)、国際経済主義や改革主義的平和論、消極的平和論・平和のための戦争といった見方が若干変化した上で再登場したと言うことだろう。

世の中の思想の大きな流れというのは、やはり社会(経済など)の変化に伴って変わっていくものなのでしょうか?

まぁ、それは政治史の範疇から抜け出てしまうのかもしれませんが…難しいですね(困)



今回のレビューはこれで終了です。

本書のレビューもやっとこれで折り返しです。

これからも頑張ります!!


今回も読んで下さりありがとございました☆それでは♪
  

応援クリックよろしくお願いします!!


二十世紀の戦争と平和
入江 昭
東京大学出版会
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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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たまには…

お疲れ様です。
たまには学術的な議論もしないとシタン先生のブログの趣旨に反するので(笑)、質問させて下さい。
ファシズム国家とありますが、入江氏のファシズムの定義は何ですか、よろしければご教示下さい。
我ながら拙い質問で大変恐縮です。シタン先生と僕の間に権力関係が成立しているなら怖くて質問出来ません(笑)。

はらださん、お疲れ様です☆コメントレスが遅くなってしまい、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

>たまには学術的な議論もしないとシタン先生のブログの趣旨に反するので(笑)、質問させて下さい。
わざわざ、ありがとうございます(^^

>ファシズム国家とありますが、入江氏のファシズムの定義は何ですか、よろしければご教示下さい。
初出は恐らく第4章です。関連部分を引用してみます。

「ファシズムについては色々な定義を下すことが可能であるが、戦争と平和の思想との関連はきわめて明白である。ノイマンが1942年に出版した『永久革命』の中でも指摘しているように、近代の全体主義国家はすべて現存するものに対して否定的な立場をとる。反議会主義、反資本主義、反ユダヤ主義、反西欧文明、反合理主義、反個人主義などである」(入江、前掲書、100~101頁。)

個人的には、この記述が「きわめて明白」だとは思えません。入江氏の理解では、「全体主義国家」と「ファシズム」国家が同一視されているような気がします。また反議会主義をはじめとする例も必ずしも妥当とは言えないような…。『永久革命』の具体的な引用先が示されていれば良いのですが、それもなさそうなので…。ただし、本を読む限りでは、第二次世界大戦期のドイツ、イタリア(日本は確か留保がありました)が一般的ファシズム国家と言われていることに従い、それらの国を指すために用いたのではないかと推測します。

これで、説明になったでしょうか(汗)何か疑問点がある場合は、コメントよろしくお願いします。

ではではノシ

お疲れ様です。
なるほど、ノイマンの議論を援用しているんですね。参考になりました。
ノイマンの議論は知らないですが…(笑)。

「全体主義」と「ファシズム」を同一視することの有効性はどんなんでしょうね。この辺は、「全体主義」の捉える一枚岩的なイメージは実証で崩れたと聞きましたから、有効性には少し疑問が残りますね。

ただ、ファシズムの定義、特質自体にシタン先生は疑義をはさんでおられるようですが、どの点なんでしょうか。ブログでも、次回お会いするときでも結構ですので、ご意見伺いたいです。
ともあれ、入江さんにとっては少し、横道にそれた議論でしたね。
私に付き合って詳述してくださり、ありがとうございます。

はらださん、コメントありがとうございます☆

えーっと、まだまだ「疑義」と言えるものではなかったような気がします(汗)「ただ、何となく」と言うレベルです。もう少し、自分自身で考えてみようと思います。

ではではノシ
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