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『二十世紀の戦争と平和』レビュー(その2)

こんばんは。シタン先生です。


さて、もうご存じの方が大部分だとは思いますが、北朝鮮が六カ国協議に復帰することになりそうです。

「北朝鮮は、アメリカなどによる金融制裁の解除を条件にしている」
「中国から北朝鮮に強い働きかけがあった」
「金正日から中国経由でアメリカに極秘提案がもたらされた」


など、色々なことが言われています。もちろん、外交の世界では我々の知らないことがたくさんあります。もしかしたら、そのような極秘の取り決めがあったのかもしれませんし、案外に北朝鮮側が根をあげたのかもしれません。個人的には、前者の方がより近いのではと踏んでいますが、実際はどうなのでしょうか…。

今までのこともあり、この協議でなんらかの成果があがるという考え方には、私は否定的です。ですが、これをきっかけに「平和的な解決」がなされて欲しいものです。

さて、今回は『二十世紀の戦争と平和』第2章をレビューします。

では、いってみましょう。

入江昭『二十世紀の戦争と平和【増補版】』東京大学出版会、1986年。


第2章「世界大戦への道」
<本章の目的>
 ??(後で指摘します)


<本章の要約>
一、ビスマルクの国際秩序
 ビスマルクが作り上げた国際秩序は、「平和とは戦争のない状態であり、戦争は国際秩序の崩壊から生じる」といった、「平和の組織論的あるいは秩序論的定義」に基づいている。そして、当時のヨーロッパでは、五つの近代的大国が中心として君臨していたので、当時のヨーロッパ外交とは、五大国間の関係を指すことが多かった。また、この頃は「戦争と平和」という問題に対して、「戦争は外交の延長にすぎない」といった相対的見方がほとんどであった。ビスマルクは、あくまでも「現段階では」平和が望ましいと判断したにすぎず、その考えの基で五大国が互いに牽制し合うような国際秩序を作り出した。これは、システム的平和であり、いわゆる「バランス・オブ・パワー」と言う、古典的権力政治の思考である。

二、軍拡と戦争準備
 ビスマルク的思考からすれば、戦争準備もまた外交の手段として正当化されるが、一方で「軍拡のための軍拡」になる恐れがある。当時のヨーロッパはその傾向が顕著であった。当時のヨーロッパにおける戦争準備の特徴としては、①近代戦の想定、②軍隊の大衆化、③軍拡競争、④軍事関係のコスト増大、⑤多数国間の戦争、などが挙げられる。そして、当時の戦争準備は、一般民衆の協力なしには成り立たないものであった。結果、一般民衆を戦争に協力させるための理論が用意されることになる。また、当時はコストの関係上、一国としてではなく、複数国との同盟を前提とした戦争準備が進められていた。このような戦争準備は、必ずしも戦争を想定していたものではなかったが、現実的には戦争の可能性を高めるものであった。戦争準備によってヨーロッパはいつの間にか臨戦態勢になっていった。

三、国内政治・社会の構造<ヨーロッパ諸国の内的な要因に基づく戦争観>
 なぜ戦争計画や軍拡が一人歩きするようになったのかを知る上で、当時の戦争観は重要な示唆を与える。そもそも戦争計画や軍拡を一人歩きさせたのは、究極的には政治機構や社会構造の全体が、それらを経済的思想的に支えていたからに他ならない。そして、その問題を考察するためにはナショナリズムは避けては通れない。国の統一の根本原則としてのナショナリズムにおいては、歴史や文化以上に、力とか威信といった要素が重要になり、それを追求する中で次第に排他的な風潮が生まれ、それが究極的には他国との戦争を想起させるようになる。その意味では、近代国家の存在そのものが、戦争状態の存在を前提にしていたのだともいえる。
 このように、近代国家ではナショナリズムが必要とされ、それは狂信的な愛国主義や好戦論に発展しがちであるが、それを可能せしめたのは、当時の戦争観が少なからず、「国のために死ぬ」ことを美徳とする「ロマンティックな戦争観」「英雄論的戦争観」だったからである。つまり、ナショナリズムそしてナショナリズムの外的表現としての軍事力や戦争肯定論、それらが招く国際政局の不安定化と好戦論の刺激、これらの問題が複雑に絡み合って戦争の可能性を高める。

四、局地戦争の可能性
 ヨーロッパの大国間では、上記のようにな戦争観があったものの、その時点で幾つかの小規模な戦争は発生していた。例えば、民族間の戦争などがそれであるが、これもナショナリズムの影響を受けている。そして、この小規模な戦争は、大国間のナショナリズムの対決によって生じる戦争よりも頻繁に起こる。それは、ビスマルク的秩序の中には、地域が組み入れられていなかったからである。しかし、この考慮になかった地域での戦争が、第一次世界大戦の引き金になる。この可能性に対し、何ら効果的な政策を持っていなかったのは、ヨーロッパの諸大国の致命的な欠陥であった。

五、帝国主義的戦争
 当時、局地戦争は世界中で起きていた。そして、その多くが大国とその植民ないし原住民との間、あるいは大国間の争いであった(帝国主義的戦争)。この戦争は「文明国」の中では正当化されていたが、その中で植民地戦争はロマンティックなイメージを与えられた。しかしながら、それ故に反帝国主義運動も盛り上がった。それは例えば「文明人の野蛮化」であり、社会主義者による「反帝国主義理論」であった。このような、社会主義者による戦争や平和に関する理論の発達も、植民地戦争の激化といった戦争の問題と密接に関連していた点は興味深い。社会主義者は一般に資本主義は戦争を必然的にするものと理解していたが、中には資本主義の中でも帝国主義が戦争を引き起こすのだというホブソンのような理解をする者(反戦論的反帝国主義者)もいた。この見方が盛り上がっていくのも、その分だけ戦争の可能性が現実的なものとして考えられていたからに他ならない。このような帝国主義に関する論議の根底にあったのは、近代社会・国家と戦争との関連についての見方の相違であった。

六、経済発達と平和
 マルクス論者や社会主義者以外にも、多くの人が近代経済の発達と戦争との関係について考察していた。例えばスペンサーは、高度に発達した経済活動と軍事活動を正反対なもの、即ち経済が発達すれば外国市場を通じて相互の依存が深まり、それによって戦争が防がれると考えた。このスペンサー的平和論は、平和的発展主義・経済的国際主義に繋がるものであるが、その背景には「戦争=野蛮、平和=文明的」といった社会観があった。この考え方は、ある種ビスマルク的国際秩序にも通じるが、これよりも多分に楽観的であり、平和なる者に歴史的位置づけ、文明史的価値を与えるものであった。


<シタン先生の問題意識>
 本章で指摘される、戦争観・平和観は現代にも通じるものであり非常に興味深い。しかしながら、本書の問題意識(その1参照)から書かれているか、そして、筆者のオリジナリティーが出ているかはなはだ疑問である。そもそも、第2章で何を論じるか、本書の中で如何に位置づけられるかといった問題設定がなされておらず、読者の統合的理解を妨げるものになってしまっている。

 ただ、若干フォローをすると…、

<本書の目的(再掲)>
 「戦争と平和」を定義するという問題意識から、「19世紀末から今日に至るまで、戦争と平和、国際関係と国内社会、権力と文化の繋がりについて、どのような見方が提供されてきたか」を調べ、20世紀の特質や人類共通の関心事を明らかにする。

→第2章では、19世紀末から第一次世界大戦までの、国際秩序と戦争観・平和観の関係(第一節)としてのビスマルク的見方を示す。そして、第二節・第三節では、それ(国際秩序)を脅かすものとしての軍拡とそれを支えたナショナリズム(国内的問題)の問題を扱う。さらに第四節では、もう一つの対立軸(国際関係と国内社会に類似したもの)としての国際関係と地域の問題としての局地戦争を扱う。第五節では、局地戦争としての植民地戦争を支えた戦争観とそれに対立した戦争・平和観(社会主義者)を指摘し、第六節では後者の戦争・平和観を支えたスペンサー的平和論を紹介する。

ということになりますか。…非常に骨が折れる作業でした(苦笑)


今回のレビューはこれで終了です。

…長かったので疲れました(汗)

もう少し手短にまとめられるように精進しなければなりませんね(^^;



今回も読んで下さりありがとうございました☆それでは♪


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二十世紀の戦争と平和
入江 昭
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テーマ : 歴史
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少し回り道をしながらも、何とか内定にこぎつけた修士二年生のブログ。ぼちぼち更新しますよ。

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